沿革
豊田市テニス協会の創設
テニスがまだ「貴族のスポーツ」と言われていた昭和30年代後半に第一次テニスブームが起きました。その頃、豊田市ではトヨタ自動車テニス部が国体や東海地区大会等で活躍していましたが、テニスは、まだ一般市民には馴染みの薄いスポーツでした。
昭和40年代後半に入ると、旭硝子、荒川車体(現豊田紡織、豊田車体)、住友ゴム工業等の企業チームと豊田ローン、トヨタグリーンといった一般のクラブチームがテニスの魅力に惹かれ、活動を開始しました。
昭和50年代に入り、第二次テニスブームが到来したのを契機に、豊田市も市民スポーツの振興策として自治体主催のテニス教室が開催されるようになりました。
昭和50年代の初め頃、テニスが「一般市民のスポーツ」へと移行していった中、企業チームやクラブチームの代表者が中心となり、「豊田市テニス協会」設立の準備を進め、昭和56年4月、スポーツに理解のある市議会議員の太田三郎氏(当時)を会長に迎え、「豊田市テニス協会」を設立し、翌年の昭和57年4月に「(財)豊田市体育協会」に加盟しました。
設立当時、会員数は350名でしたが、大会や教室など、活発な活動を行うことにより2年後には会員数は1,500名と驚異的に増加しました。
テニス協会は、ジュニアからシニアまで生涯スポーツに相応しい各種事業のほか、周年記念事業や国際大会(デビスカップ、フェドカップ、ダンロップ スリクソン ワールチャレンジ)を開催する等、多義に渡ってテニス界を盛り上げる事業を展開し、平成16年には142チーム、会員数3,784名となるまでに発展しました。
平成17年4月に正確な登録状況を把握するため、チーム会員登録制度からチーム・個人会員登録制度に改正し、現在は120チーム、会員数2,424名(令和2年2月15日現在)となっています。